今となってはただのゴミ

Diary

姪っ子とショッピングモールに出かけた。

今月お誕生日だったので、好きなものを買ってあげるという約束だった。

最初に入ったお店で流行りのシールを手に取った。

しばらく吟味したあと、1つを手に取り「これにする」と言った。

1つではなんだか可哀想だと思ってしまい、

「どれと悩んだ?それも買っていいよ」と言ったら4つ持ってきた。

お会計が終わり、店を出ると、

隣のお店にもっといっぱいシールがあった。

姪っ子は大喜びで飛びついたが、

そこではシールではなくスクイーズを2つ買った。

さすがにまたシールを買うわけにいかないという彼女なりの配慮だったかもしれない。

さっきのお店で1つにしておけばよかったと思ったかもしれない。

そう思わせたのは自分なのだと思うとやるせない気持ちになった。

3階のゲームセンターへ。

子供だからUFOキャッチャーをやりたいに決まっている。

私は昔からUFOキャッチャーが嫌いだ。

遊びと買い物の両面において、非合理的でコスパが悪い。

人々が「スリル」や「達成感」というドーパミンにお金を払っていることは知っている。

だけど私はそんなものにお金を払うということが腑に落ちない。

そんなこともつゆ知らず、姪っ子はゲーム感覚でやりたいと言うだろう。

ただのゲームだとすれば、それこそコスパが悪い。

「取れるかどうか」を1回100円で買うとは。

「これさぁ、どれもアームが弱いんだよね。取れないと思う。欲しいものは買う方がいい。」

姪っ子は、ずらりと並ぶUFOキャッチャーを順に眺めながら眉ひとつ動かさずにそう言った。

確かな血縁を感じた。

モンスターボールを投げてポケモンをGETしていくゲームをした。

最後にカードが1枚出てきた。リザードンだった。

そういえば昔リザードンが嫌いだった。

嫌いや苦手が多い子供だったな。

姪っ子は当然のように向かいの駄菓子屋さんに入って行った。

400円までというルールを言い渡した。

10円を6個、12円を4個、80円を2個、、、

税抜か、と思ったが低学年に税込はさすがに酷かとも思った。

タピオカを飲みたいと言い出した。

1階にあるから行こうと言って、下に降りた。

ソーダタピオカを1つ買った。

今思えば2つ買って「美味しいね」などと言いながら

2人で飲む方が一層美味しかったのではないかと後悔している。

兄と義姉が甥っ子を連れて迎えにきた。

3人で買い物をしていたらしい。

少しの間姪っ子と椅子に座って迎えを待った。

「この国にたくさんいそうな苗字言っていこう」という提案があった。

すずき、佐藤、さいとう、山田、ふじわら、田中、みながわ、吉田、あだち、高橋、みずたに

「みながわ」辺りから、お友達の苗字言ってねえか?という疑念が湧いた。

今思えば「ふじわら」から犯行に及んでいた可能性もある。

甥っ子は買ってもらったゲームを嬉しそうに抱えて現れた。

姪っ子は「そっちのほうが良かった」と言わんばかりの表情を浮かべている。

シールもスクイーズもリザードンのカードも、そのゲームだって

いつかはただのゴミになる。

史上最速でゴミになったものたちをこの目で見た気がした。

「今となってはただのゴミ」

それは子供の頃の記憶に限らない。

「かつて」大切にしていたもの。

その全てが、今となってはただのゴミだ。

あれもこれもそれもあいつも。

これは決してネガティブな意味ではない。

今いかにも大事そうに抱えているもの(抱えてしまっているもの)も、

いつかはきっと捨てられる。

そう思うと楽なのだ。

姪っ子はおばとの買い物を楽しんでくれただろうか。

また来年も行ってくれるだろうか。

なんだかんだと綴っているが、本音はただ「かわいくって楽しかった」の一言だけだ。

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